東京高等裁判所 昭和39年(行ケ)45号 判決 1965年7月22日
原告 小西二郎
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一双方の申立
原告は「昭和三十五年抗告審判第七五九号事件について、特許庁が昭和三十九年三月二十三日にした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。
第二原告請求原因
一、原告は昭和三十三年六月十六日特許庁に対し、「特殊コロイド製法」という名称の発明について特許出願をしたが(同年特許願第一六、八五五号)、昭和三十五年二月八日拒絶査定をうけたので、同年三月十五日抗告審判を請求した(同年抗告審判第七五九号)。これに対し、特許庁は昭和三十九年三月二十三日「本件抗告審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その審決書謄本は同年四月一日原告代理人に送達された。
本願発明の特許請求の範囲は、
「凝結ゾルにイオン化水素を添加し親液性を持つたゾルとして安定したコロイド溶液を製造することを特徴とした特殊コロイド溶液製法」
である。
二、しかしながら、右審決は以下記載の理由によつて違法であつて、とうていその取消を免れない。
まず、本件審決は、原告が昭和三十四年十二月二十四日付をもつて提出した訂正書(以下訂正書という。)はこれを認めるが、原告が原査定を不服とする理由について補充説明がないことを主たる理由としているが、右補充説明の提出は特許庁からの提出指令によるものではないから、原告においてなお検討中であるため、上申書をもつて猶予申出中であるにもかかわらず審決を断行したことは審理を尽さないものといわなければならない。
三、また、本件審決は、「原審ではかかる訂正によつてもなお本願明細書の記載事項の要旨は明確にされないものと認定して」と述べているが、本願発明に対する拒絶査定における拒絶理由説明には、「なお、出願人は意見書および訂正書を提出して要旨の明確化のためさらに明細書の訂正を行うと述べているが、その提出がないので出願人の意見書における主張を採用することはできない。」とあり、補充説明の書面を提出しないことを拒絶理由としていることは明らかである。しかし、前記昭和三十四年十二月二十四日付意見書および訂正書は右拒絶理由に対する陳述に該当する。とくに拒絶理由が「要旨不明確」の点にありこれに対し明細書を訂正したことは有力な陳述といわなければならないのであつて、原査定がこの訂正書に対してなんらの判断をしなかつたのは審理不尽に外ならない。従つて、審決が、前記の意見書について「拒絶理由に対する釈明や抗弁はなにも記述されていない。」として、右の訂正書に対して、なんらの判断もしていないのは審理不尽であることは明らかである。
四、また、本件審決は、本願発明の要旨がすでに明確にされているのにかかわらず、これに対して実質的判断をしていないが、右は審理を尽さない違法があるというべきである。
本件審決は、「本願明細書を精査して、その記載事項を検討するに、原審の認定を覆えすに足る理由はこれを発見することができない。」と述べているが、精査した結果どこがどのように判らないのか本件審決においてもまたその援用する拒絶査定においても、技術的に特許請求要旨に触れるところがないから、技術的内容に対する拒絶の理由は少しも判明せず、内容審査を行なつたとは考えられない。
本願発明の特許請求の範囲に記載された要旨はきわめて簡単明瞭であつて、操作としては単に「凝結ゾル」に「イオン化水素」を添加するだけのことであり、目的効果として凝結したゾルを安定したコロイド溶液とすることが記載され、この記載された内容の要旨は、その特許請求範囲を読むだけでその意図とするところは、化学技術者であれば何人でもきわめて容易に把握できるものである。
実施例に関する記載も請求範囲の要旨を織り込んだ方法であり、いずれも発明者がすでに実施ずみのものをそのままこれ以上記載しようのないほどくわしく細かく記載してある。
ただ、明細書全体の記述配列に、あまりにも充分に詳述しようとして混乱を与える点がないでもないが、本願発明の要旨は充分に表明されていると信ずる。
すなわち本願発明の明細書においては、前記請求範囲に対応する本文説明として、
(一) 明細書の冒頭において、本願発明の要旨および目的を、
(二) 同第二項第八行から第三頁第一行において、従来の一般常識を、
(三) 同第三頁第二行以下において本発明の発明道程および従来法との相違を、
(四) 同第四頁から第十頁において、発明者の構想になる独得の理論構成に関する説明を、(この点は、非常に興味ある問題ではあるが、学者の確認を得るまでは一応の提案に止め、簡単になるよう補正した方がよいと考えていたところである。)
(五) 実施例第一はもつとも簡単なイオン化水素の添加法を、同第二は発明者の独得の苦心した濃硫酸添加による水素発生添加法を、同第三、第四は電気的な実施例を、さらに第十四頁最下行から第十五頁第三行には他の常識的な一般法の総括説明を、
(六) 同第十六頁下半から第十七頁上半は応用途を、
それぞれ示しており、これによつて、イオン化水素添加による凝結ゾルの解膠を説明してあり、要旨不明確とは考えられない。
原告が審査の段階において上申書をもつて訂正書を出したい旨を述べたのは、実施例の前文において、原告の推論した理論説明が学問的には非常に興味ある提案ではあるが、一般向きのものとしては難解の点もあるので、その理論構成が理解されない場合を考慮し一層簡単明瞭になるよう訂正した方がよいと考えたからである。
しかし、補充説明のための書面の提出が遅滞しているのは、発明者である原告が本願発明の特殊応用部面の実験において、不測の失敗があつたため手がつかなかつたためである。
以上のように、本願発明の要旨およびその内容が明確なものである以上、これを拒絶するためには、少くとも一応の訂正指令または内容的の意見指令あるいは実験報告書提出指令くらいはあつて然るべきであるのに、これらの指令も発することなく、明細書の記述構成が不備であるとして形式的に拒絶するのを相当としたのは審理不尽、理由不備のそしりを免れない。
第三被告の答弁
一、原告請求原因第一項記載の事実は認める。その余の主張は争う。
二、原告は、本件審決が、原告の原査定に対する不服理由についての補充説明のないことを主たる理由としている旨主張するが、本件審決は、そのような理由で、抗告審判の請求は成り立たない旨を判断したものではない。このことは、本件審決に記載されたところからも明らかである。
もつとも、本件審決は、原告が理由の開陳を懈怠している点を指摘しているが、このことは、審決時において現実に提示されている一件書類の記載事実だけを判断資料とせざるを得ない事情を述べたに止まるのである。
なお、本件審決に当つては、原告の追補を待つて審理に遺憾なきを期すべく、その旨の意思表示があつた昭和三十五年三月十五日から四年近くも待つたが、その間二回追補を猶予されたい旨上申書の差出があつただけであつたため、昭和三十九年二月二十九日付で遂に審理終結通知を発せざるを得なかつたものである。
三、また、原告は、訂正書に対して実質的判断をしていない旨主張するが、本件審決において審理の対象としたところは、訂正書によつて、特許請求の範囲が一項に改められた、訂正された明細書であるから、原告主張は理由がない。
すなわち、本件審決においては、訂正書によつて「特許請求の範囲」が一項に改められたことを当然の前提とし(審決書第一葉うら第九、十行―甲第九号証の写では第十二、十三行―)、「原審の認定を覆えすに足る理由はこれを発見することができない。」(同第二葉おもて第五、六行―甲第九号証写では十三、十四行―)という判断を示したものであり、しかも、右にいう「原審の認定」については、「原審ではかかる訂正によつてもなお本願明細書の記載事項の要旨は明確にされないものと認定して」(同第一葉うら第十一から第十三行―甲第九号証写では同第一葉うら十四行から第二葉おもて一行―)と、その内容を明らかにしており、拒絶査定において、対象されたところは訂正書によつて訂正されたところである以上、本件審決がこの点を判断していないということはできない。
しかも、原告提出の訂正書は、本願発明の出願当時、その明細書に、請求の範囲を三項目であつたものを一項目にしたものであるが、本願発明に対する拒絶理由は、その明細書の記述全体が不明確ということであつて、多項制の記載をしたことをもつて要旨不明確の理由としたものではないのである。したがつて、前記訂正によつても、なお要旨が明確にされたということはできない。
四、原告は、本件審決が本願発明について実質的な判断をしていない旨主張するが、本件審決は、すでに拒絶理由通知書において指摘した通り、本願の明細書は、発明要旨を把握し得ないほど記載事項(実施例を含む。)が不明確であるとしたものであつて、この結論は審判官が明細書を精査検討した結果到達した見解なのである。
第四証拠関係<省略>
理由
一 特許庁における手続の経緯については、当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第九号証(審決書)の記載によると、本件審決の理由とするところは、
『本願の発明は昭和三十三年六月十六日の出願であつて、請求人はその要旨として昭和三十四年十二月二十四日付訂正書によつて訂正された明細書の「特許請求の範囲」に記載する方法を提示している。
これに対し、原査定の拒絶理由は、「本願はその明細書の記載事項(実施例を含む。)の要旨が不明確であつて、旧特許法第一条の発明として完成されたものと認められない。」というにある。
もつとも、同拒絶理由を通知した時点で、本願明細書の「特許請求の範囲」には異る三項目の方法が列記され、「発明相互の関係」でこれら三方法の相牽連したものが、本発明である旨述べてあつたが、上記訂正書により「特許請求の範囲」は一項に改められた。
しかして、原審ではかかる訂正によつてもなお本願明細書の記載事項の要旨は明確にされないものとして拒絶査定をなした。
請求人は当審で請求書に、前審の意見書等を援用して査定を不服とする詳細な理由は追補する旨述べ、その後昭和三十五年十二月八日付および昭和三十七年七月七日付で上申書を二回差出し、同理由の補充を猶予されたい旨申出でたが、さらにその後相当の日時が経過するも依然として理由の開陳を懈怠している。また、当審に援用の意見書は前記訂正趣旨の訂正書を差出す旨述べてあるだけで、拒絶理由に対する釈明や抗弁はなにも記述されていない。
そこでもつぱら本願明細書を精査してその記載事項を検討するに、前記原審の認定を覆えすに足りる理由はこれを発見することができない。
されば、本願の発明は旧特許法第一条にいう要件を欠くものとする。』
というのである。
二 原告は、本件審決が、原査定を不服とする理由について補充説明のないことを主たる理由としている旨主張しているが、前記審決書に記載されたところから明らかなように、本件審決は、原告が出願の時から抗告審判の審理終結の時までの間、どの段階で、どのような書面を提出したかについての経緯を詳しく記述しているけれども、右の記載は、手続上の出来事を、開陳して本件においては出願当初の明細書と訂正書だけに基いてこれを判断せざるを得ない事情を述べているにすぎないものと解するのが相当であつて、原告からの補充説明のないことを理由として本出願を拒絶すべきものとしたのではないのであるから、この点に関する原告の主張は失当であり、また右審決記載のような状況下において審理を終結の上審決をしたことをもつて審理不尽の違法があるものとは、とうていこれを認めることはできない。
三 原告は、本件審決が訂正書についての判断を示していない旨主張するが、前記審決書(甲第九号証)の記載によれば、本件審決の判断の対象とされたところは、被告も指摘する通り、訂正書によつて訂正された明細書であつて、訂正書提出前の当初の明細書のみではないことが明らかである。
もつとも、右審決書のうちには、原告に通知された拒絶理由に対する釈明や抗弁がなにも記載されていないことを挙げ、もつぱら本願明細書を精査した旨の記載があるので、一見訂正書に記載された内容について判断を省略したかのように読めるかも知れないが、右審決書の全体を綜合的に考察すれば、その趣旨とするところは、右のような趣旨ではなく、審決理由の冒頭及びその中ほどに記載されている通り訂正書による訂正を十分認めた上で、その訂正された明細書を精査の上検討判断したものと認めるのが相当であるから、この点に関する原告の主張も理由がない。
四 原告は、本件審決が本願明細書の実質的内容について判断をしていない旨主張する。
そこでその成立に争いのない甲第二号証(拒絶理由通知書)、同第五号証(拒絶査定)および同第九号証(審決書)の記載によると、本件審決によれば、本願発明は旧特許法第一条にいう要件を欠くものとし、その理由として、拒絶査定の認定を覆えすに足りる理由はこれを発見することができないというのであり、その拒絶査定の認定は、拒絶理由として通知したところを援用し、その援用された拒絶理由は、「本願は、その明細書の記載事項(実施例を含む)の要旨が不明確であつて、特許法第一条の発明として完成されたものと認めることができない。」というのである。
したがつて、結局本件審決においては、本願発明は右の拒絶理由に示されたところによつて、拒絶するのを相当とする旨の判断が示されていることは明らかである。
これに対し、原告は、本件審決が、本願発明の技術内容に触れるところなく、実質的判断を欠いている旨主張する。
たしかに、前記認定したところからみれば、本件審決においては、本願発明の技術内容については、これに触れた表現はない。
しかし、本件審決に、本願発明の技術内容に関する表現が見当らないからといつて、そのことから直ちに技術内容に関する判断を欠くということはできないのであつて、結局、本願明細書の記載が本件審決に示されたような要旨不明確なものであるかどうかの問題に帰着するものといわなければならない。
そこで、本願明細書に記載された本願発明の技術内容についてみるに、その特許請求の範囲に記載されたところからも明らかなように、本願の発明は、
(一) その素材として、(ア)凝結ゾルおよび(イ)イオン化水素を用い、
(二) その方法として、前記(ア)に(イ)を添加する方法により、
(三) 生成物質として特殊のコロイド溶液を得ようとするものであつて、その溶液の性質は、「親液性をもつゾルとして安定したコロイド溶液」である。
というのである。
そして、その成立に争いのない甲第一号証(特許願書)中の明細書の「発明の詳細な説明」の記載によると、前記「凝結ゾル」とは強電解質を分散媒とし、金属化合物を分散質としたものを意味し、このような「凝結ゾル」にイオン化水素を烈しく混じよく浸透させると、この凝結が解け(解膠)、分散されるとし(しかも、この場合イオン化水素を添加しても金属塩を還元するものではないという。)、これを本願発明の中核とするものの如くである。
右のように、本願発明の技術内容を、その特許請求の範囲に記載されたところからみれば、外形的には、たいへん簡明なものであるように見えるけれども、前記の各証拠および原告の主張することによれば、発明者である原告の説明するところは、本願発明は従来のコロイド溶液製法とはまつたく異る、特異の理論に基く特殊コロイド溶液製法であるというにあり、その理論は本訴訟の口頭弁論終結時においても化学の分野における学界ないしは業界の専門家によつて承認されている形跡もないことが窺われるので、これらの点を併せ考えると、原告の主張する理論そのものが、可能であるということは当業者の化学常識(本出願の時点においてだけでなく、本訴訟の口頭弁論終結時においても)をもつてしても容易に考えられないものであることを窺うことができ、ほかにこれに反する資料は何もない。
このように、原告の主張するところは、従来法について改良を加え、これによつて特許性ありと主張する場合であるというのではなく、従来法とはまつたく観点を異にし、独自の理論に基く製法について特許性ありというのであるから、その詳細な説明において、その発明の属する技術の分野における通常の技術的知識を有する者がその発明を正確に理解し、しかも容易にその実施をすることができる程度に、その発明構成、作用、効果および実施の態様を記載し、同時に特許請求の範囲の記載事項の意義を明確にするためには、格段の努力を払わなければ、その要旨が明確でないとされることがあるのも止むを得ないところといわなければならない。
そして、本願発明にあつては、その審査の段階で、実施例を含む明細書の記載の要旨が不明確である旨の拒絶理由が示されているのであるから、もし、本願発明が、実施し得べきものであるならば、これを立証し得る実験結果の報告、その証明書等何らかの方法によつて、これを明らかにすることができた筈であるのに、原告は抗告審判請求後審決に至るまで四年余の長期の期間があつたにもかかわらずこれを明らかにしていないのみならず、本願発明においては、その明細書において、その製品の性質、用途等についても必ずしも具体的に明らかにされているとはいえない。
以上の点から考えてみれば、本願発明に関する明細書の記載は、当該技術分野における通常の知識を有する者が正確に理解し得べき理論的説明、ないしは、前記知識を有する者が容易に実施し得べき資料の裏付けに欠けるところがあるというほかなく、結局、その要旨が不明確であつて、発明未完成というの外はないものというべきであつて、その出願を拒絶すべきものとした本件審決は相当であるから、その取消を求める原告の請求は理由がない。
五 よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用については、行政事件訴訟法第七条および民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 山下朝一 古原勇雄 田倉整)